春。
出会った場所も、緑をなして。
初めて見る、明るい景色のこの街を、のんびりと散歩する。
夏。
この街の夏は、俺には少し涼しすぎて。
遠く、広く、青く、碧く広がる空と海とを、なんとなく眺める。
秋。
来るべき季節に備えて、日が短くなって。
冷たくなり始めた風の走る黄昏の街を、家路へと急ぐ。
冬。
この街で迎える、二度目の冬。
低い雲、風を待つ静けさ…一年前と同じ、あの日の天気。
そして。
「…どうしたんですか?」
この寒い季節に、嬉しそうにアイスクリームを口に運ぶ、栞。
俺の隣にちょこん、と座って、今日もまた、アイスクリームを昼食にしている。
…いくら日課になってるからといって、未だに見ているだけで寒い。
「いや、もう一年経ったんだなと思ってさ…」
学校の中庭。
一昨日降った雪がたっぷり残っていて、俺たちの他には誰もいない。
…更に言うなら、三年はもう授業がないので、同級生など学校中探してもまずいない。
「速いですね」
アイスを食べる手を休めることなく、栞。
その嬉しそうな顔を見るためにここに来た、でもいいかな…と思わせる、極上の笑顔。
「そうだな…歳をとると時間が経つのが速く感じるって言うしな…」
「そうですね。祐一さん、もう十八歳ですから。仕方ないですよね」
「…なんか、しゃらっと不思議なこと言われたような気がするぞ」
「気のせいですよ」
「……なら、いいんだ」
「はい」
頷いて、また、食事に戻る。
自分の分のパンをさっさと食ってしまった俺としては、栞を眺めているしかない。
それで、ぼーっと、栞を観察しているのだが。
「…もうすっかり、その緑色のリボンも板についてきたな」
「むーっ。そんなこと言う人、嫌いですよ」
「いや、似合ってるって言ってるんだぞ、俺は」
「顔が笑ってますっ」
「なんだったら、赤いリボンも試してみたらどうだ? なんて言う気はないから安心してくれ」
「やっぱり、嫌いですっ」
「な、なんだっ!? 俺は何か嫌われるようなことを言ってしまったのかっ!?」
「自分の胸に手を当てて考えてくださいっ」
「そうか…それじゃ」
「えっ、ちょっ、祐一さんっ!?」
「あっ、こらっ、アイス落とすぞっ」
「祐一さんが変なことするからですっ」
「胸に手を当てて考えろと言ったのは栞だぞっ」
「私はちゃんと、自分のって言いましたっ」
「残念…」
「そんな顔してもダメですっ」
「うぐぅ」
「わ。久しぶりに聞きました…」
「うぐぅ」
「何なんですか? それ」
「だから秘密」
「隠し事はずるいですっ。私にも教えてください」
「ずるいって言われてもなぁ…」
「言ってくれないなら、さっきのこと、お姉ちゃんに言いつけますっ」
「ちょっ、それは待てっ!」
「教えてくれるなら、黙っていてあげます」
「………」
「どうですか?」
「…判ったよ。教える」
「うれしいですー」
「……台詞が棒読みだぞ、栞」
「気のせいですよ。ここで祐一さんが意地を張って教えてくれない方が後々楽しいかな、なんて考えてませんから」
「………」
「それで、なんなんですか? うぐぅって」
「ほら、昔からよく言うだろ。うぐぅは風邪をひかないって」
「わ。そうなんですかー」
「ああ。知らなかったか?」
「初めて聞きましたー」
「これでまた一つ利口になったな、栞」
「はいっ」
…今回も、なんとか誤魔化せたようだ。
しかし、そろそろ危ういな…だんだんと栞がうぐぅの確信に迫っているのを感じる。
「…どうしたんですか? 難しい顔をして」
「いや…うぐぅと言えば、最近あゆを見ないな、と思ってさ」
「…あゆさんはうぐぅなんですか?」
「ああ。どこからどう見ても立派なうぐぅ、それどころか、あいつこそうぐぅの正当な伝道者だぞ」
「そうなんですか…」
自分で言ってても、いまいち意味が判らない。
「…ごちそうさまでした」
「……? もう食わないのか?」
「はい。…あまり、お腹も空いてませんし」
「珍しいこともあるもんだ。まだ半分近く残ってるんじゃないか?」
「…はい」
「勿体ないな」
「そうですね…だったら、祐一さん…」
「嫌だ」
「まだ何も言ってませんよっ」
「…じゃあ、続き」
「祐一さん、食べてくれませんか?」
「嫌だっ!」
「祐一さんさっき、勿体ないって言ったじゃないですか」
「言ったけど、それとこれとは話が別だっ!」
「むー。祐一さん、わがままですっ」
「どうしてそうなるっ!」
「そんなわがままなこと言う人、嫌いですよ」
にっこり笑って、俺にアイスを差し出す。
俺にはそれが、悪魔の微笑みに見えた。
「食べて下さい。美味しいですから」
「美味くても冷たいだろ…」
「冷たくても美味しいです…それに、ぬるいアイスなんて美味しくないですよ」
…どうやら、俺の負けらしかった。
渋々、という態度をアピールしながら、アイスとスプーンを受け取る。
いかにも甘そうなクリーム色のアイスと、手から伝わる冷たい感触。
俺は緩慢とした動作で、一口目を口に運ぶ。
「…寒いぞ」
「冬ですから」
「全部食わないとダメか?」
「はい。全部食べて下さい」
まだ雪の残る、冷たい風の吹く学校の中庭で。
もう既に授業のない三年生が、一年生の女の子を隣に、アイスを食べている。
…普通に考えたら、絶対に異様な光景だった。
「………」
もうこうなったら仕方ない、さっさとこのアイスを全部食って、暖かい場所に逃げ込むしかないだろう。
そう覚悟を決めて、勢いよくアイス攻略に乗り出した矢先。
「祐一さん」
小さな、栞の声がした。
「…ん?」
「祐一さんは…今…幸せですか?」
「…ああ。これ以上ないくらい幸せだぞ」
アイスを飲み下して、答える。
…栞にしてはおかしな事を聞くな、と思う。
普段なら、こんなこと…絶対に聞かないから。
「それじゃあ…一年前の今日と、どっちが幸せですか?」
決して俺の方を向かずに…栞。
その目に、初めて会った時の、あの、何かに怯えたような表情を垣間見て…。
「そんなこと聞いて…どうするつもりだ」
俺の声は低く、嗄れた。
それでもまだ、栞は俺を見ずに…遠いどこかを見るような目で…空を見上げた。
あの日と同じように。
「私は…去年の今日の方が幸せでした」
言葉は、白い息と共に吐き出される。
「あの、限られた一週間の中での日々の方が、ずっと、輝いて、充実していたんです…」
それが、聞き間違いでも空耳でもない、現実のものであることを示すように。
「まるで、ドラマみたいでした。何気ない祐一さんの言葉や、表情や…祐一さんの全てが、すごく、愛おしく思えました。祐一さんのことを考えるだけで、どきどきしました。毎日が、本当に…幸せでした」
…全てが、過去形で言い切られる。
そんな栞の横顔は、静かで…とても綺麗だった。
「…今は、違うのか」
「……はい。あの頃みたいに、どきどきしなくなりました…少しくらい祐一さんに会えなくても、平気になりました…幸せだと感じることが少なくなりました…」
「………」
「でも」
「………」
「祐一さんが当たり前に一緒にいてくれる、そんな毎日が、私は、好きです」
「………」
「ドラマみたいな幸せより…幸せが当たり前に続いて、それが幸せだっていうことを忘れるくらい幸せな毎日が…私は好きです」
「………栞」
栞の表情は、綺麗だった。
自分が幸せだということを忘れるくらい、当たり前に続く幸せ。
それは、失ってしまって初めて気付くもの。
それを知っている栞…。
「…一つ、お願いしていいですか?」
「ああ…」
「きっと私、不満も言います。祐一さんのこと、嫌に思う日も来ると思います。……そんなときは、教えて欲しいんです」
「…何を?」
「私は幸せなんだって」
「…判ったけど…少し難しいな」
「そんなことないです。どんなことでも…少しだけ、特別なことがあればいいんです」
「………」
「たとえば、です」
栞、少し照れたような笑顔を浮かべる。
そして、俺の手からアイスのカップを抜き取って…すくい取ったアイスを自分の口に運んだ。
…どういうたとえなのか、全然判らない。
と。
「…え?」
唐突に、首の後ろに回される華奢な腕。
引き寄せられた唇に押しつけられる、小さな唇。
それから、その間を割って俺の口に入ってくる、冷たくて甘い塊。
……………………!?
んくっ。
俺がなんとかそれを飲み下したのを確認してから、ようやく、栞は俺を解放した。
「…どきどきしましたか?」
「……滅茶苦茶、した」
「…私もです」
照れ笑い。
お互いに。
痛いくらいに強く打つ心臓の音。
しばらくの沈黙。
「なぁ、栞…」
「ダメですよ」
「まだ何も言ってないぞ」
「…ダメです。たまにやるから、いいんですよ」
Von fernem Hier mit dem herzlichen Gebet.
01/2/1 橘 和馬