冬がやってきた。
オレがこの学校で過ごす最後の冬。
…相沢がこの街に来てから、二度目の冬。
窓際の机に座って、校庭を眺める。
昼間雪が降ったせいでグラウンドのコンディションは最悪、今日はどこの運動部もグラウンドには出ていない。
…六時限目が終わってからそろそろ二時間になる。もう、随分暗くなってきた。
そろそろ来てもいい頃だと思う。
…ほら、足音が聞こえてきた。
たったったったったったったっ。
かなり速いペース。
リノリウム張りの廊下を蹴る、ゴム底の上履きの音。
どんどん近くなってくる足音は、教室のドアの手前で急に、止まる。
深呼吸の音。
それから、遠慮がちにドアが開いて。
「祐一……いる…?」
水瀬さんの声。
「相沢なら帰ったぞ」
「えっ!? わっ、わっ、わっ」
…急に返事をしたオレに、驚いているらしい。
確かに無理もなかった。
教室にも廊下にも明かりは点いていない。外から入ってくる光だけが、唯一の光源。
オレには辛うじて水瀬さんの姿が見えるけれど、水瀬さんからオレは逆光になっていて、見えないんだろう。
「……北川くん?」
「ああ。驚かせちゃったな」
「わたし、すごくびっくりしたよ…」
「ごめん…」
「ううん、気にしないで」
いつもの、ほわっとした表情。
「それで…祐一、もう帰ったの?」
「ああ。今日はなんか卒業生の女の子と待ち合わせがあるとか言ってさっさと出てったぞ」
「……そうなんだ」
「…一つ聞いてもいいか?」
「うん。何?」
「水瀬さんと相沢って、付き合ってるのか?」
「え…」
「……」
「え…と……そう、なるのかな…」
ある意味、予想通りの答え。
でもある意味では、全く予想外の答え。
「…相沢があれで、嫌じゃないのか? なんならオレから言って聞かせるぞ」
相沢にべったりの水瀬さん。
八方美人で一年生や卒業生にもガールフレンドのいる相沢。
…ちょっとひねた見方をすれば、水瀬さんと付き合ってるっていうのも相沢にとっては遊びに過ぎないんじゃないか…とも取れなくはない。
「うん……でも、それが祐一だから」
「相沢ならなんでもいいのか?」
「…そういう訳じゃないけど……」
「オレだったら絶対に嫌だぞ。…仮にも自分の恋人が、あっちこっちに異性の友達作って遊んでたら」
「……」
水瀬さん。
クラス…あるいは、学年、学校で一番人気の女の子。
確かに綺麗だと思うし、いわゆる天然ボケの性格も可愛いと思う。
陸上部では部長を務め、いくつかの大会に記録を残す程、頑張っている。
そして…何というか、まるで少女漫画から出てきたんじゃないかと男のオレが思ってしまう程、恋愛なんて単語とはまるで無縁のような、一途で素直な娘。
二年になって、クラス変えがあって。
水瀬さんと同じクラスになったときは、嬉しかった。
そりゃ、水瀬さんの話は飽きる程陸上部の連中から聞いていたし、仲の良い男連中の間でも、水瀬さんの評判は高かったから。
正直、憧れていた。
初めて話をするきっかけになったのが何だったかは、もう憶えていない。何を話したかも、憶えていない。
でも、初めて実際に話を交わしたとき。
その容姿と間延びした話のギャップに、かなり驚かされたことだけは憶えている。
それから十ヶ月経った…三学期が始まる日。
水瀬さんの従兄…相沢が、転校してきた。
以前から、相沢のことを話すときの水瀬さんの表情…みたいなもので察しはついていたけれど。転校生として相沢が教室に入ってきた時の水瀬さんの嬉しそうな顔を、オレは、多分、忘れることはないんじゃないかと思う。
…一応、"水瀬さんと一番仲の良い男友達"として野郎連中の羨望を集めていたオレの座は、一瞬にして、相沢に奪われた。
その頃にはもう、"憧れの人"から"好きな人"へと変化を遂げていた、オレの想いと一緒に…。
……本当は、それほど好きじゃなかったのかも知れない。
オレはとりあえずそう思っている。
相沢が…水瀬さんの想っている相手が現れたからって、簡単にあきらめがつく程度の、"好き"。結局は"憧れ"の領域を出なかったんだ、って。
そう思った方が楽だから…。
それでも。
また、"好きな人"から"憧れの人"に戻っても。
相変わらずオレは水瀬さんと一緒にいるのが嬉しいし、多少ニュアンスの違いはあっても、水瀬さんのことを好きでいる、ということは変わらない。
だから、相沢の態度は許せない。
「でも…いいんだよ」
そう言って、水瀬さんは微笑む。
まるで、相沢がいれば、それだけでいいかのように。
「水瀬さんがそういう甘いこと言うから、相沢が付け上がるんだと思うぞ」
「うん…そうかも知れないけど…」
「なんか、苛々するんだよ、相沢見てると。水瀬さんの好意の上にあぐらかいて、好き勝手やってて」
「ごめんね…でも、大丈夫だから。たぶん」
「……」
「わたしね、他の女の子たちが祐一のこと想ってるよりも祐一のこと想ってる自信、あるよ。それから、他の女の子たちよりも祐一に想われてる、って自信も……」
「………」
「なんて、自惚れすぎかな…」
…ははっ。
「……オレが心配することじゃなかったな」
一瞬で、憤りも苛立ちも忘れてしまう。
「うん…心配してくれて、ありがとう……」
この、恋愛音痴の水瀬さんから惚気を聞くとは想わなかった。
「でも、相沢には言っとくよ。あんまり水瀬さんに気を焼かせるんじゃないって」
机から立ち上がる。
「うん…」
ただ、一つだけ……去り際、本当に言いたかった言葉の代わりに。
「ごちそうさま」
肩越しに、呟いた。
Von fernem Hier mit dem herzlichen Gebet.
01/7/23 橘 和馬