…ゆさゆさ。
体が揺らされている。
耳元で祐一の声が聞こえるような気がする。
「起きろ、名雪」
「………うにゅ? …あれ、祐一」
帰ってきてたんだ…ううん、今、帰ってきたんだね。
わたしの肩を掴む手が、冷たい。
「…きっとまた寝ぼけて降りてきたんだろ。こんなとこで寝てると風邪ひくぞ」
「…違うよ」
「ん? 何が違うんだ?」
「寝ぼけて降りてきたんじゃないよ。祐一を待ってたんだよ」
「…どういう意味だ?」
「祐一…どこに行ってたの」
祐一の表情が変わる。
怪訝そうにわたしを見ていた祐一の目が、戸惑いを含んで泳ぎ始める。
「…魔物退治だよ」
「はぐらかさないで」
…祐一が、わたしに言えない、何か大切な用があって、それで、出かけてるのは知ってるよ。
でも…。
「学校、でしょ」
祐一は、困ったような、泣き出しそうな、そんな顔をしてた。
ごめんね…そんな顔させてるの、わたしだよね…。
「…川澄先輩に会いに行ってたんだよね」
でも、わたしの唇は、わたしの気持ちを無視するみたいに、言葉を続けてしまう。
…祐一が、川澄先輩と一緒に、学校に行ってるのは知ってる。
でも、でもね。
川澄先輩に会いに行ってるんじゃない、他の用があって、川澄先輩はただそれが一緒になってるだけだ、って、否定して欲しい。
けど…けど、祐一が絞り出すように続けた言葉は。
「………そうだ」
掠れて、震えた、声。
でもはっきりと聞き取れる、肯定の言葉。
祐一の顔は、ますます歪んで、本当に、今にも泣き出しそうで。
…わたしだって、泣きたいよ。
祐一の顔を見てるのも、泣き出しそうな自分をこらえるのも辛くて。
「そう」
それだけ言うのが精一杯だった。
顔がひきつっているのを感じる。
こんな顔、祐一には見られたくなくて…逃げた。
階段を足早に上がっていって、部屋の中に隠れる。
ぱたん、とドアが小さな音を立てたとたん、わたしの中で何かが切れた気がした。
頬を熱いものが伝う。
声は出なかった。
ただ、ぼろぼろと涙がこぼれるだけ。
ごめんね、祐一。
わたし、あんなこと言わなければよかったよ。
気付かないふりをしてればよかったんだよ。
でも…ダメだったよ。
どうしても、あの冬みたいに祐一がわたしの届かない場所に行っちゃうんじゃないかって…不安だったんだよ。
…小さな足音が、近付いてきた。
祐一が階段を上ってきたんだと思う。
足音は、わたしの部屋の前で止まった。
こんこん。
小さなノックの音。
今声を出したら、そのまま声を上げて泣き出しちゃいそうで…わたしは声を出せなかった。
「名雪…」
小さな、祐一の声。
わたしの名前を呼んでくれる、大好きな人の声。
「なゆ…」
「なに」
わたしがようやく出した声は、とても冷たい声だった。
「……ごめんな」
落ち込んだ、祐一の声。
ドア越しでも、辛そうに目を伏せる祐一の姿が描ける。
「なんで謝るの」
謝らなくていいんだよ。
でも…。
祐一は、何も言わなかった。
「何も判ってないんだね。もういいよ。話したくない」
…本当は、ちゃんと、話して欲しい。
でも…怖くて聞けない。
泣いていることを知られたくない…。
こんな言い方したくないのに…したくないけど…早く祐一に行って欲しくて。
「名雪」
「もう行って。話したくない」
お願い、祐一。
明日ちゃんと謝るから。
だから、今日は、そっとしておいて。
お願い…。
「行かない」
でも、祐一は。
行かない、って…。
「名雪。確かに俺は、なんでお前が怒ってるのか判らない。だから、教えて欲しい。どうして名雪が怒ってるのか」
すぐ近くで、まるで背中合わせで座っているみたいに、祐一の声が聞こえる。
もう、収拾がつかないほど、わたしの視界は白くかすんでいて。
「…何、言ってるの?」
「教えて欲しい。それから、ちゃんと名雪に謝りたい」
…声を上げて、泣きたかった。
祐一の胸に飛び込んで、大声で泣きたかった。
ものすごく不器用なやり方だけど…それでも、わたしのこと判ってくれようとしてる。
それが、嬉しくて。
「…言わない」
でもね、祐一。
ダメだよ…ダメなんだよ。
わたし、嫉妬してるだけだよ。
祐一と何かを共有してる川澄先輩が、羨ましいんだよ…。
こんなところ、知られたくないよ。
「……言ってくれるまで、ずっと待ってる」
「…好きに…して…わたし…もう…寝る…から」
…泣き出してしまった。
それを気取られないように、最後に、途切れ途切れの言葉を残して、わたしはドアから離れる。
何か、祐一が言ったみたいだったけど…それは聞こえなかった。
冷たい布団に潜り込む。
ここなら、祐一にもきっと聞こえない。
「えぐっ…うぐっ…」
もう、なんで泣いてるのかなんて判らなかった。
ただ…涙が止まらなかった。
胸が痛い。
まるで、肺の真ん中に穴が空いたみたい。
痛い…誰かにそばにいて欲しい…。
祐一…………。
…どれくらい、泣いていたんだろう。
気が付くとわたしは、泣き疲れて少し眠ってしまっていた。
……まだ、いるのかな。
もう、いないよ…ね。
もそもそと、毛布を引きずって、ドアのところに、座って。
「祐一」
いないと思っていても、それでも、わたしが言うまで待ってる、って祐一の言葉にすがって、わたしは、声をかけた。
返事が返ってこなければ、また、泣くのは目に見えていたけど。
祐一を信じる…ううん、祐一に甘えたくて。
「なんだ?」
返事は、すぐに返ってきた。
「まだ…いたんだ…」
嬉しかった。
祐一も、わたしを待ってくれた。
それが嬉しかった。
「言ったろ? 話してくれるまでずっと待ってるって」
うん……祐一は、約束、破らないもんね……遅れたことはあっても、約束破ったことはないもんね……。
少し笑って、それから、大きく息を吐き出して。
……惚れ直したよ、祐一っ。
「あのね、祐一。わたしだって普通の女の子なんだよ」
不器用な祐一に、不器用なわたし。
きっと、判り合えるには、長い時間がいるんだろう。
いっぱいお互いのこと話して、自然に判るようになってくんだろう。
だから…少し恥ずかしいけど、言うよ。
正直に…。
「やっぱり、好きな男の子が他の女の子と仲良くしてたら、嫌だよ………嫉妬だよね、これって。…わたし、祐一が思ってるほど優しい子でも、強い子でもないんだよ」
「…ごめん」
嫉妬だって…そう言った後でも、祐一は、そう言った。
どうして?
わたしが勝手に、やきもちやいてるだけなのに…。
「なんで謝るの?」
「…名雪に嫌な思いさせたから」
顔から火が出そうなほど、恥ずかしかった。
それと、嬉しかった。
「だから、ごめん」
「…うん」
ドアを一枚はさんで、背中合わせに座って。
それでも、向こう側にいる祐一に心臓の音が聞こえてしまうような気がして。
「俺、甘えてたんだな……名雪がずっと俺のことを好きでいたくれた…ってことに、舞い上がってたんだな…」
「祐一…」
「ごめんな、名雪。俺、お前のこと好きだなんていいながら、結局お前のこと何も考えてなかった…」
ううん。
それは、わたしもきっと同じ…。
「イチゴサンデー」
「ああ。…明日、今までの分も全部おごってやる」
「明日…?」
「部活、休みだろ、確か」
「うん…」
少し、笑う。
祐一…わたしの部活が休みの日、覚えてたんだ…。
可愛いな。
「なんだよ?」
「ううん、なんでもないよ」
「そうか? …ならいいけど」
「……中に入らない?」
「いいのか?」
「うん…そこ、寒いでしょ…」
言いながら、立ち上がって、ドアの鍵を外す。
ゆっくりドアを開けると…祐一が立ち上がるところだった。
やっぱり、ドア越しに背中合わせしてたみたい。
「お前こそ、寒かったんじゃないか…」
パジャマ一枚のわたしを見て、祐一。
「毛布をかぶってたんだよ…」
さっきまでかぶっていた、毛布を指さす。
「なるほど、その手があったか」
「うん」
ドアを閉める。
…祐一と二人っきり。
ちょっと、緊張しちゃうかな。
また、毛布を肩からかぶって、座る。
…右側がいいかな。
ちょっと、そっちがわを開けて。
「はい、祐一」
祐一、軽く肩をすくめて見せると、来ていたコートを脱いで、毛布に入ってくる。
左腕に両腕を絡めると、ひんやりした祐一の体温が感じられた。
「わ。冷たいね〜、祐一」
「そりゃ、ずっと廊下にいたんだからな」
うん…そうだよね。
だからね? わたしが少しでもあっためてあげるよ…。
……自分で考えても、少し恥ずかしかった。
「冷たいよ〜」
「名雪はあったかいぞ」
そう言うと、祐一、悪戯っぽく笑う。
え?
わたしが訝る間もなく、祐一は真正面からわたしを抱き締めた。
冷たい手が、わたしの背中に回る。
「わっ」
「どうした、名雪?」
「冷たいよ〜、祐一」
顔が火照るのを感じる。
「…嫌か?」
う〜、やっぱり祐一意地悪だよ…。
ぴたっ、と、祐一の背中に手を回して、
「ううん…このままがいいな…」
「ああ…判った…」
「…ねえ、祐一?」
「ん?」
「昔も、こんな風にしてたことあったよね」
「…そうか? 俺は憶えてないぞ」
「わたしは憶えてるよ…あの時祐一が言ってくれたことも、全部憶えてるよ」
「記憶力がいいんだな…」
だって。
お父さんが死んじゃって、お母さんと二人きりになった、あの夜。
あの日から、わたし、祐一のこと好きだったんだよ…。
「あー、そういえばなんとなく思い出したかも知れない」
「…なにを?」
「昔、こうしてた時のこと」
「うん」
「でも、何言ったかまでは憶えてない」
「うん」
「…何言った、俺?」
「内緒」
だって、大切な思い出だもん。
それに…祐一、聞いちゃったら照れるよ、絶対。
「気になるぞ」
「でも内緒」
「ヒント」
「わたし、嬉しかったよ」
「…思い出せない」
「うん」
「名雪…」
「うん」
「名雪は…あったかいな…」
「…祐一も、あったかいよ」
「……………」
「祐一?」
こてん、と、わたしの肩に、祐一の頭がのっかる。
…眠いんだ。
そっと、手を伸ばして、祐一の肩を抱く。
肩を並べて、わたしに頭を預けて…寝ちゃったみたい。
そっと体をひねって、その寝顔を覗き込む。
…可愛い。
でもね、祐一。
これじゃ、男の子と女の子が逆だよ…。
こちこち、時計が鳴ってる音がする。
…眠れないよ。
祐一の寝顔は、可愛かった。
…あ、これ、髭かな?
祐一も男の子だもんね…。
頬を撫でたり、髪の毛を手で梳いたりしているうちに、少しずつ、窓の向こうが白み始める。
今動いたら、祐一、起きちゃうかな?
でも、たまにはわたしが祐一起こしてあげたい…かな。
そっと、祐一の隣を抜け出す。
…よかった、起きてないみたい。
そっと、そーっと、クローゼットを開けて、制服を出す。
……ちょっと恥ずかしいけど、寝てるから大丈夫だよね。
「今起きたらダメだよ、祐一…」
着替えが終わるまで、祐一は起きなかった。
途中、寝返りを打って床に寝転がった時は、すごくびっくりしたけど。
時計を見る。
六時五十分。
できれば、目覚ましが鳴り出す前に、わたしが起こしてあげたいから。
「朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜」
肩を掴んで、揺り起こす。
祐一、毛布にくるまったまま、一度、寝返りを打って。
…ぺしっ。
頭を叩かれた。
「…痛いよ、祐一」
「んー?」
もう一度ごろんと寝返りを打って、祐一。
まだ目がとろんとしてる。
「ひょっとして、寝ぼけてる?」
「んー…ん? 名雪?」
「あ、寝ぼけてるんだ」
くすっ。
祐一が寝ぼけてるところ見ちゃった。
目をこすりながら、わたしをじっと見る祐一…なんだか、子供みたいで、可愛い。
「…ちょっと残念」
「残念って、なに?」
「いや、なんでもない…って、もう朝か…?」
「うん。今日もいい天気だよ」
眩しそうに目を細めて、窓の向こうを見る。
「しっかし…名雪がこんな時間に起きるなんて、奇跡だ」
「う〜、わたしだってたまにはちゃんと起きるよ〜」
ホントは、寝てないんだけどね…。
「毎日こうだと助かるんだけどな…」
「遠い目で言わないでよ〜」
「さてと、俺は部屋に戻るぞ」
「…ごまかしてる?」
「いやいや、そんなことはないぞ」
「…ごまかしてる」
じっと見上げるわたしと目が合った祐一、急に悪戯っぽい笑顔になると、わたしの頭を、ぐしゃぐしゃっ、と撫でる。
「わっ」
「それじゃ、な」
「うん。早く着替えて降りてきてね」
祐一、一瞬、きょとんとした顔になって。
それから…くすくす、って笑い出して。
「…どうして笑うの?」
「いや、いつもと逆だなと思ってさ」
「…そうだね、逆だね」
笑いながら、祐一、出ていく。
ぱたん。
ドアが静かに閉まって。
「祐一の寝顔見たいし……目覚まし増やそうかな…」
Von fernem Hier mit dem herzlichen Gebet.
00/12/19 橘 和馬
00/12/22 橘 和馬