fallin' rain

間奏曲

 

 

『やあ、久しぶり…と言うべきなのかな? 折原くん。
 キミがこの手紙を読んでいるということは、僕はもうこちら側にはいないんだね。そしてキミは、絆を手に入れた…そういうことだろう。
 おめでとう、と言っておくよ。
 少し悔しいような気もするけどね。キミと絆を結べたのが、僕じゃない別の誰かだってことが。
 …おっと、冗談だよ。勿論、キミにその気があるなら、僕もそれに応えるつもりではいたけどね。
 もっとも、今となってはもう遅すぎるね。母さんが僕のことを憶えていて、キミに宛てたこの手紙を届けてくれた…これだけで十分過ぎる奇跡さ。これ以上は望めないよ。僕には、絆を結ぶ体さえ残されてはいないんだからね。
 …僕たちがもっと早くに友達になっていれば、こうはならなかったかも知れないね。
 まあ、過ぎたことをどうこう言っても仕方ないし…僕がこうなってしまったことも、ある種の必然だと思っているから……ただ、キミの幸せな姿を祝福してあげられないのが、唯一の心残りかな。
 …こうしてキミに手紙を書くことができるのも、キミが、切実に僕を必要としてくれたからだ。
 つまりは、絆だね。
 お互いの運命を変えるには至らなくても、ほんの少しだけ、物語に切れ目を入れることはできる。
 …あんまり長くなってもいけないし、キミのことだ、勿体ぶらずにさっさと話せ、なんて思ってるだろうから、そろそろ、キミの本当に知りたいことを話すよ。
 …音を奏でてくれないか。
 僕は、キミの奏でる音も聞いてみたい。
 僕の奏でる音と、キミの奏でる音が、どんなハーモニーを生み出すのか、試してみたい。
 それが、同じ目をしていたキミに対する、僕の絆だと思っているからね。
 頼んだよ。折原くん…』

「ここも、久しぶりだな…」

 実際はどこに立っても久しぶりなのだが、それについては深く考えず、感慨深げに、折原浩平、呟く。

 彼が立っているのは、埃の積もった楽器ケースが無造作に置かれた、殺風景な教室。
 プレートには軽音楽部と書いてあったが、到底、ここ数年使用された形跡は見られない。
 教室に入った瞬間から、廊下の談笑もほとんど聞こえなくなり、耳が痛くなるような静寂が、折原浩平を包んでいた。

「…始めるか」

 放り出された楽器ケースの中から、自分の得物を探す。
 十数分の格闘の後…折原浩平は、ほとんど新品同様に見える、アコースティックギターを発掘するのに成功していた。
 隅の方に積み上げられていた椅子を一つ、引っ張ってきて、教室の中央に据える。
 大仰にそれに腰掛け…深く溜息を吐き出した。

「もうほとんど憶えちゃいないぞ…」

 弦の調律もせずに、折原浩平はギターを弾き出した。
 コードを押さえても弦が上手く張らず、音の響きが悪い。
 しかも、引いているのは五年ほど昔のポップスだった。

 すぐさま、指が痛くなる。
 ここ四年間、彼はギターを弾いていない。
 当然、すぐに勘が戻る訳はないのだが…それでも、引き続けた。
 教室中の全ての窓を開け、ドアを開けて。

 …三時間も弾いた頃から、大分、音が響くようになってきた。
 ……更に二時間程経つと、ギターはまるで生き物のように、彼の手の中で声を奏でるようになった。
 ………そして、それから更に二時間後。

「……ふぅ」

 ようやく、折原浩平がその手を止めた。

 そして。

 ぱちぱちぱちぱちぱち…。

 拍手。

「素晴らしい演奏だったよ」
「ったく…何時間やらせるつもりだったんだよ。手がつりそうだ」
「また会えたね、嬉しいよ」
「…変則的な邂逅でもか?」
「そうだね。確かに変則的だ。でも、先が読めないからこそ、好奇心を煽ることができる。…僕もこうして、キミの奏でる音を聞けたしね」

 声が少しずつ、近付いてくる。
 時刻は午後十時過ぎ。
 教室の中に差し込む光は、月明かりのみ。
 その、薄明るい月の明かりに、ゆっくりと姿をさらす、白い肌の少年。

 少年は、にっこり笑って、折原浩平に手を差し出した。

「…何だ?」
「それを貸してもらえないかな。僕も少しだけ、弾きたくなった」
「ああ…」
「ありがとう」

 折原浩平の差し出したギターを、受け取る。
 へぇ、と、小さく少年が声を上げた。
 それから、調音を始める。

「やっぱり、調律はしておくべきだよ。もう何年も使ってなかったんだろう?」
「別に誰かに聞かせるつもりもなかったからな。今日は練習だけのつもりだったんだよ」
「それにしても、さ」
「そんなもんか?」

 調音を終えた少年が、ギターをかき鳴らす。

「うん、いいみたいだね」
「…お前もギターを弾くのか」
「そうだよ」

 少年の演奏が始まる。
 折原浩平の動的な演奏に対して、少年の演奏は静かなものだった。
 滑らかな旋律が、夜の静寂の間隙を縫って滑り抜ける。

 ゆったりとした音楽。
 照らす月明かり。
 とても幻想的な光景だった。

 折原浩平が感嘆の溜息をもらす。
 少年の指は少しも滞ることなく弦の上を走り、その度に澄んだ音が響きわたる。
 音楽のことはよくは判らないが、相当、少年はギターが上手いと思った。

「上手いんだな」

 無遠慮に、演奏の途中で口を挟む折原浩平。

「キミにそう言ってもらえると嬉しいよ。キミに聞かせるために練習してきたんだからね」

 気にした風もなく、手を止めずに答える少年。

 演奏は続く。
 滑らかに。
 少しずつ曲調が上がっていく。
 メゾフォルテ。
 フォルテ。
 フォルティシモ。
 叩き付けるような鋭いストローク。
 スフォルツァンド。

 ………。

「……ふぅ」

 ぱちぱちぱちぱち…。

「あはっ。少し照れるな」
「何言ってんだ。自分から弾くって言い出しておいて」
「…どうかな? 僕の奏でる音とキミの奏でる音の相性は」
「それは合わせてみなきゃ判らないだろ」
「…それじゃ、試してみようか」
「悪いが、また今度にしてくれ。もう手なんて動かない」
「残念だよ」
「まったくだ」

 少しも残念ではなさそうな口調で、折原浩平。
 少年、小さく笑うと、ギターを大事そうに折原浩平に返す。

「さて、それじゃ、行こうか」
「…行くって、どこへだ」
「"えいえんのある場所"へ」
「………」
「あれ? 僕と絆を結んでくれる気になったんじゃなかったかな?」
「冗談はいいから、さっさと話を進めろ」
「そうだね。でも、ここでは話ができないのも本当だよ。…こっちだよ」

 楽器を片付ける折原浩平を後目に、すたすたと歩き始める少年。

「どこに行くんだよ」

 手早く楽器をしまい込んで、慌てて少年に続く折原浩平。
 少年は笑みを浮かべながら、彼を先導して歩く。

「ボトムへ、さ」
「ボトム?」
「そう。ドミニオンの最深部…それがボトムだよ」
「ドミニオン?」
「そう。…キミが"えいえんのある場所"と呼んでいたところさ」
「………」
「…大丈夫だよ。僕はキミに、ドミニオンの真実を伝えに来たんであって、キミをドミニオンに取り込みに来たんじゃない」
「………」
「……信じてもらえないかな」

 …少年は、綺麗な顔をしていた。
 雪のように白い肌と、涼しげな碧い光彩。
 背中に翼でも生えていれば、天使と呼んでも差し支えないだろう。
 それほど綺麗な少年。

「一つだけ、言い忘れたことがあったな」

 少年を油断なく睨め付けながら、折原浩平。
 その声は低く、暗い。

「何かな?」
「…お前は、最短記録でオレと親友になれた奴だよ」

 呆気にとられたような少年ににやりと笑いかける。
 少年も、すぐに、笑みを取り戻した。

「ついてきてもらえるかな?」
「当たり前だ。そのために、オレもお前もここにいるんだろ」
「…そうだね。それじゃあ、行こうか」

 …二人は黙って夜の校舎を歩き出す。
 まだ少し冷たい、春の夜気。
 動かない空気を切りながら、二つの足音が響いていた。

「折原くん」
「…なんだよ」
「ドミニオンがどんなものだか判るかい?」
「……判らないな」
「ドミニオンは、誰にでもある世界なんだよ。誰もが、生まれ落ちた瞬間から、ドミニオンを形成し始める…そして、やがて、ドミニオンに取り込まれる」
「………」
「ドミニオンへの取り込まれ方は、二通りある。一つは、ドミニオンに"墜ちる"方法。もう一つは、ドミニオンそのものに"なる"方法。…大抵は、ドミニオンそのものに"なる"けれど、僕やキミのように、ドミニオンに"墜ちる"人もいる」
「………」
「…キミは、死後の世界があると思うかい?」
「……判らないな」
「キミの思う通りに答えてくれていいんだよ。キミはまだ、"死んだ"ことがない訳だしね」

 …まるで、自分が一度死んだようなことを言う少年。
 だが、折原浩平は全くそれに動じる様子もなかった。
 異様な会話。

「…また、あそこに行くような気がするな」
「そうだね…正解だよ。人は"死んだ"とき、ドミニオンに取り込まれる…いや、"なる"。もっと言うなら、ドミニオンに"なる"、ということが、"死ぬ"、ということなんだよ」
「………」
「でも、ドミニオンに"墜ちる"…それは、存在を失う、ということ…キミがそうだったようにね」
「………」
「周りの人たちはキミのことを忘れ始め、段々、キミ自身の"存在"の感覚も薄れ始める。少しずつ、ドミニオンの内部と外部との区別が付かなくなり始める。そして…」
「"墜ちる"」
「そう」

 少年が足を止める。
 …階段の、踊り場。
 四階。
 『立入禁止』の看板。
 ……屋上へと続く扉。

「ドミニオンは、ドミネーターの心の世界…だから当然、そこに時間の流れや三次元的な空間はない。これはキミも、身をもって体験しているんじゃないかな」
「まあな」
「でも、ドミニオンも世界である以上、なんらかの次元を持って存在しなければならない。漫画にページやコマがあったり、ドラマにシーンナンバーが振られているように、ね。ドミニオンには、深度がある」
「………」
「どれだけ、深層心理に近い場所にいるか、ということだよ。心の奥底へ潜っていくようなものだね」
「………」
「そして、ドミニオンの一番深い場所…ボトムには、ドミニオンの支配者…ドミネーターがいる」
「………」
「こうやって、深度の浅い場所にも出てはこれるけどね。どうしても、ボトムにいるときのように上手くは動けない…ギターだって、ボトムでならもっと上手く弾けるよ」
「…この先が、ボトムなのか」
「そうだとも言えるし、そうでないとも言える。ドミニオンに三次元的な広がりはない、そう言ったね? このドアの向こうに何があるのか。それは全部、ドミネーター次第なんだよ。心の中の風景を作るのは、間違いなく自分自身だからね」
「…じゃあ、何のためにここまで歩いてきたんだ」
「判らないかい?」
「判らないから聞いてるんだ」
「演出だよ」
「………」
「…折原くん?」
「なんか、どっと疲れたぞ…」
「あれ? そんなに歩いたかな…」

 可笑しそうに笑う少年と、疲れたように肩を落とす折原浩平。
 判っててやってるだろ…。
 折原浩平の恨めしげな呟きも、少年は笑顔で受け流す。

「ともかく、ボトムに入る前に、少し手品を見せようと思うんだけど、どうだろう」
「…もう、好きにしてくれ」
「じゃあ、そうしようか…折原くん」
「何だよ…」
「動くと、危ないからね」

 何の事かと折原浩平が問い質すより早く。
 少年の細い指が、鋭い音を鳴らす。

 ぱちんっ!

 ばぎばぎばぎばぎぃぃっ!

 何をした訳でもないのに、その瞬間、少年と折原浩平を中心に、床に亀裂が走る。
 …床だけではない。
 階段、廊下、壁、天井…ありとあらゆる部分に、亀裂は広がっていった。
 そして。

「崩れるよ」

 崩れた。
 …擬音化できないほどの轟音を立てて、校舎が崩壊する。
 当然、瓦礫に混じって"墜ちる"、折原浩平。

「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」

 喉を振り絞って上げる絶叫でさえも、崩壊音に紛れて聞き取れない。
 折原浩平が、無惨にも、頭から地面に叩き付けられようとしたその瞬間。
 …視界が、変わった。

 そこは、海。
 眩しい太陽。
 波打ち際。
 繰り返す波の音に紛れて聞こえる、子供の声。

「おりはらくん…おりはらくんっ…」
「う……氷上…?」
「ほら、ついたよ。ボトムだよ」
「……氷上っ!?」

 砂を払いながら、折原浩平、立ち上がる。
 目の前で笑う少年…どうやら、氷上というらしい…をまじまじと見て。

「氷上…シュン……だよな…?」
「そうだよ。なにいってるの」
「だってお前…子供…」

 …折原浩平の目の前に立つ、氷上シュン。
 まだ小学校にも上がらないような、幼い、男の子。
 ……あの、白い肌の少年の面影を多分に残して。

「折原くん」

 呆然と目を見開いている折原浩平の背後に、声がかけられる。
 …そこには、にっこりと笑みを浮かべる、先程の白い肌の少年の姿。

「氷上…」
「ははっ。そう驚いてくれると、僕もなんだか嬉しいよ」
「ぼくもうれしいよ」

 とてもよく似た笑顔で笑う二人。
 間に挟まれた折原浩平だけが、鳩が豆鉄砲をくらったような表情で二人を見回している。

「…まだ、慣れてないみたいだね」
「慣れるも何も…お前…」
「大丈夫だよ。そのうち、ドミニオンにも慣れる…そうしたら話を始めよう」
「…ああ」

 相変わらずぼけっとした顔の折原浩平に、氷上シュン、笑いかける。

「落ち着かないみたいだね」
「…予想してたのと違ったからな」
「もっと暗くて永遠に続く風景をイメージしてたのかい」
「ああ…」
「勿論、そういう階層もあるよ。僕の中のネガティヴな部分が、そういう階層を作り出している。でも…ボトムはそういう場所じゃない」
「………」
「キミも、ドミニオンに"墜ちた"なら判るはずだよ。僕たちがドミニオンに"墜ちる"ことを願った、最初の言葉を」
「………」
「"永遠に続く幸せが欲しい"って」
「……これが、お前の、永遠に続く幸せなのか…?」
「そうだよ」
「こんな…こんなに明るいのに、誰もいない風景が…?」
「誰もいない訳じゃ、ないよ」
「…誰かいるのか?」
「………いるよ」
「そうか…ならいいんだ」
「…もし誰もいなかったら、キミが僕のために残ってくれるかい?」
「それはごめんだ」
「少しは考えてくれても良さそうだけどね」
「オレは生涯の伴侶を男から選ぶつもりはない」
「残念だよ」

 少しも残念ではなさそうに、笑う。
 …気が付くと、幼い少年の姿は消えていた。
 だが、氷上シュンも折原浩平も、それを気にしない。
 ………あるいは、気付いていない。

「それじゃあ、そろそろ話を始めようか」

 二人しかいない白い砂浜で。
 氷上シュンは、そう言って…微笑んだ。

 

Fortsetzung folgt.

 

 

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さて、困りました。

俺はONEのオリジナルのみのユーザーですから、城島司を知りません。

この章を書いている最中で、司の名前を知り、茜の幼なじみであることを知りました。

この作品の一番初め、不自然なまでに茜が幼なじみの名前を出さなかったのも、そのためです。

 

さぁ、どうしましょう?

小説版や"輝く季節へ"には、司の描写があるらしいですが。

俺はこのまま、司の名前はないものとして書き続けます。

"城島司"の名前を使うかどうかはまだ決めていませんが、

余計な設定などは全て、"知らないものは知らない"で通してしまいます。

ご了承下さい。

 

しかし…ここに来ていきなり話が長くなった…。

バランス、悪すぎ…。 <話の内容的にも、全体の構成としても…

 

01/1/29  橘和馬