…折原浩平が、長森瑞佳の元へと帰ってきた日。その日の放課後。
既に誰もいなくなった教室で、半ば夕闇に埋もれながら…二人はまだ、教室にいた。
古い思い出、遊びに行く約束、そんなことを、笑顔で語り合う二人。
幸せそうだった。とても。
「ね、浩平…」
「んー」
「もう、遠くに行っちゃ嫌だよ…」
「…ああ。もうどこへも行かないよ…お前が嫌だって言うまではな」
「あは、じゃあ、ずっと一緒だね、わたしたち」
長森瑞佳が笑う。
それは、不思議にどこかで見たことがあるような印象を抱かせる笑顔だった。
幼なじみから、恋人同士への過渡期。
そんな中を、穏やかに、手を繋いで歩いていく二人。
幾度となく繰り返される日常のかけがえのなさに気付いた少年と。
うつろう季節も永遠には続かないことを知った少女。
そして、移りゆく時間の中でも、変わらないものを手に入れた二人。
かつん。
小さな音がした。
リノリウムの床を叩く、ゴムの靴底。
「…浩平」
教室の入り口。
闇の色が濃く、そこに佇む少女の顔は見えない。
「茜…か?」
「里村さん?」
少女の影が、小さく頷いたように見えた。
それから、近付いてくる。
かつん、かつん…小さな音を立てながら、一歩ずつ。
「よお、久しぶりだな、茜」
「…お久しぶりです」
「何してんだ、こんな時間に」
「……浩平に話があります」
…ちなみに、茜が折原浩平に声をかけた瞬間から長森瑞佳の表情が多少曇っているのだが、折原浩平は全くそれに気付いていなかった。
「何だ、オレに話って」
「…どうやって帰ってきたんですか」
「はぁ…?」
茜の目は、まっすぐ、折原浩平を見ていた。
必死で、縋り付くような視線で、折原浩平だけを見ていた。
「一年前…消えたんでしょう…?」
…教室の空気がひび割れる音が聞こえたような気さえする。
驚愕に見開かれる折原浩平の、目。
「どうやって…帰ってきたんですか…」
それから、悲しみに歪む茜の、目。
綺麗な緑色の瞳から、透明な滴が、落ちた。
「あ…かね…?」
「教えてくださいっ! どうして…戻って来れたですか…!」
「おい、茜っ!」
「どうしてっ! あの人は…戻ってっ…来てくれないのに…っ! どうして…浩平は…戻って…」
「茜っ! 落ち着けっ!」
泣きながら取り乱す茜と、それをたしなめる折原浩平。
それから…それを、今にも泣き出しそうな…あるいは、泣きやんですぐのような…表情で見つめる、長森瑞佳。
折原浩平からは、その表情は見えない。
「浩平…お願いです…あの人を、連れ戻してください…」
「あの人…って…」
「七年前の雨の日…あの空き地で、私をおいて消えてしまった…私の、幼なじみ…です」
「消えたって…」
「…はい」
「一緒なのか…オレと…」
「…はい」
「浩平…」
「……」
「お願いします、浩平…」
「…オレには、何もできない」
茜の瞳が、曇る。
「それでも…私が頼れるのは、浩平しかいないんです…」
折原浩平、困ったように、長森瑞佳を見る。
そして初めて…長森瑞佳の表情が、泣き出しそうなものになっていると気付いた。
気まずい、沈黙の帳。
「オレは…瑞佳がいたから、帰って来れた。瑞佳がオレのことを想ってくれたから、オレが瑞佳に会いたいと願い続けたから、帰って来れた…んだと思う」
「…はい」
「オレにはそれ以上のことは言えない」
「…はい」
茜の表情が、更に曇る。
…折原浩平にも、茜の言いたいことはよく判った。
すなわち、『何故、私はあの人のことを想い続けているのに、あの人は帰ってきてくれないのか』。
だが、それが判っても…折原浩平には何も言えなかった。
折原浩平は、茜の幼なじみのことを何一つ知らない。
そして、向こう側の世界についても、ほとんど判っていない。
答えられるはずがなかった。
「…すいませんでした。変なことを言って」
「……」
「…忘れてください」
「……」
「…ごめんなさい、長森さん」
「……」
「…それでは」
静かに、茜が。
その踵を返す。
かつん、かつん…小さな足音が、少しずつ遠ざかっていく。
気まずい雰囲気だけを、二人の間に残して。
Fortsetzung folgt.