かちっ。
『朝〜、朝だよ〜』
「うひゃぁぁぁぁっ!?」
いきなり耳元で声がして、あたしは思わず上擦った悲鳴を上げた。
「ゆ、雪也っ!?」
『朝御飯食べて学校行くよ〜』
…辺りを見回してみるも、雪也の姿は見えず。
『朝〜、朝だよ〜』
ふと枕元を見ると、白いプラスティック製の、雪也から借りた目覚まし時計。
その針は、きっかり七時を指している。
「…これか」
時計の頭についているスイッチを軽く叩くと、案の定、雪也の声は沈黙した。
…なかなか人騒がせな時計を貸したもんよね、雪也も。
選んだのはあたしだということはとりあえず放っておいて、後で少しシメてあげないと。
「それにしてもねえ…」
再び、スイッチを入れる。
『朝〜、朝だよ〜』
間延びした、雪也の、声。
『朝御飯食べて学校行くよ〜』
「余計眠くなるような気がするのは、あたしの気のせいじゃないと思うんだけどな…」
『朝〜、朝だよ〜』
ひっくり返してみると、裏には"録音"と書かれたボタンがある。
間違いなく、雪也が自分で入れた声に違いない。
『早く起きないとおとーさんがフライパン持って…ガタガタッ、バタッ、ビーッ、ブツッ』
……。
はて。
何か今、不思議なものを聞いたような気がする。
一旦スイッチを切って、入れ直す。
三度、雪也の間延びした声。
『朝〜、朝だよ〜』
『朝御飯食べて学校行くよ〜』
『朝〜、朝だよ〜』
『早く起きないとおとーさんがフライパン持って…ガタガタッ、バタッ、ビーッ、ブツッ』
…何!? 伯父さんがフライパン持って何!?
しかも、この、がたがたいってる音は何!?
……ま、いいか。
「にしても、相変わらず寒いわよね」
ぶつぶつ独り言ちながら、壁に掛かっている真新しい制服を手に取る。
ひやりとした感触。
…よくよく考えれば、これも珍しいデザインしてるわよね。
くすんだ赤の、かなりスカートの丈が短めのワンピースに、白地にワインレッドの縁取りがついた肩掛け。それから、肩掛けの縁取りと同じ色のリボン。おまけに、黒のニーソックス。
……少なくとも、あたしに似合う格好じゃないことは確か。
「さてと…それじゃ、雪也を起こしに行きますか」
時計を見る。七時十分過ぎ。
まだ、あの大量の目覚まし時計は鳴ってないみたい。
…あれだけの目覚まし時計が一度に鳴ったら、絶対にあたしはまた跳び上がるだろうなぁ。
「雪也ーっ! 朝よーっ!」
何の断りもなしに、雪也の部屋に踏み入る。
…布団を抱えて幸せそうに眠りこけている雪也。
人にあんな目覚ましを貸しておいて、自分は幸せに夢の中である。
ともかく、鳴り出す前に目覚ましのスイッチを軒並み切っておく。
こんな所で鳴られたら、ショック死しかねん。
「ほら、雪也! 起きなさい!」
「…くー」
「朝よ! 朝御飯食べて学校行くんでしょっ!」
「…くー」
……よく考えてみたら、あたしの声なんて、到底この目覚ましにかないっこないのよね。
おとなしく彼らに任せておいた方が無難だったかしら。
「雪也ぁっ! 起きなさいよっ!」
「…くー」
「……最終手段」
わしわしっ。
ぐしゃぐしゃっ。
「うわわわわわわっ!?」
がばっ。
ぐらっ。
どたっ。
「……おはよう、雪也」
ちなみに、順に、あたしが頭をわしわしした音、ぐしゃぐしゃした音(そのまんまだなぁ…)、雪也が飛び起きた音、バランスを崩した音、ベッドから転がり落ちた音、だ。
…首から落ちたけど、大丈夫かな。
「痛たたたたた…」
首をさすりながら起き上がる雪也。
床にぺたんと座った格好で、首だけ持ち上げてあたしを見る。
「あれ、ゆーこひゃ…ふぁふ」
「起きたわね」
「うん…起きた…」
目をこすりながら、雪也、答える。
十分眠そうな気がするけど、まぁ、起きたならそれでいいわ。
「目覚まし止めといたからね、二度寝しちゃ駄目よ」
「うん…しないよぉ…」
「…まだ心配ね」
わしゃわしゃっ。
「ひゃあっ!?」
「起きた?」
「う〜、起きてるよぉ…」
「…なんでこんな過剰反応するのか、不思議よね」
「ゆーこちゃんがおとーさんにからかわれるのと一緒…」
「ともかく、呼んでも起きなかったらこれで起こすコトにするわ」
「うう〜、頑張る…」
「んじゃ、あたしは先に下降りてるわね」
「うん。すぐ行くよ〜」
…まだ微妙に眠そうな雪也の声(元から間延びしていて眠そうな印象は受けるけどね、あの声)に送られて、あたしは階下へと降りる。
伯父さんは…まだ起きてないのかな?
人の気配のしない階下の廊下は、怖ろしいほど冷たい空気が張り詰めていた。靴下をはいてはいるものの、指先からじんじんと冷たさが染みわたってくる。
…どこに何があるのか判らない以上、あたしが勝手に何かすることもできないし…おとなしく雪也が降りてくるのを待つしかない。
仕方ない。こたつにあたって天気予報でも見よう。
「うーっ、寒いっ」
あたしが肩をいからせながらこたつの中にごそごそと足を突っ込んでいると、
「でも、まだ今日は暖かい方だよ、祐ちゃん」
「ひゃぁっ!?」
ごすっ。
…こたつの天板に頭をぶつけた。
「…おはよぉございます、伯父さん」
「随分いい音がしたね…」
「ええ。かなり痛かったですから」
「まさかそんなに驚くとは思わなかったよ」
にこにこ楽しそうに笑いながらそう告げる伯父さんは、絶対に確信犯だ。
「にしても、今日は雪也の目覚ましなってないみたいだね」
「…あたしが止めましたから」
「……雪也は?」
「一応、起こしました」
「…誰を?」
「雪也です」
「誰が?」
「あたしです」
「…どうやって?」
「企業秘密です」
信じられない、って顔の伯父さん。
……そりゃ、あれだけの量の目覚まし時計でも目を覚まさない雪也を、あたしが起こしたとなれば…仮にあたしと伯父さんの立場が逆だったら、絶対に信じないわ。
「…あ、そろそろ僕も着替えないと」
しばらく呆気にとられていた伯父さんがふと我に返ったのは、たっぷり三分近く経ってからだった。
スリッパを突っ掛けてぱたぱた出ていく伯父さんと入れ替わりに、雪也がとたとた入ってくる。何かすれ違いざまに言葉を交わしていたみたいだったけど、あたしにはそれは聞こえなかった。
「おはよ、ゆーこちゃん」
「おはよ」
「…まだ七時三十分になってないよ」
「そうね」
「僕がこの時間に起きてるなんて、奇跡だよ〜」
…そこまで言うか。しかも、自分で。
「朝、トーストでいい?」
「なんでもいいわよ」
「朝はどうしても時間ないからね、いつもトーストとサラダと卵くらいなんだけど…」
「それだけあれば上等じゃない」
「そう? それじゃ、ちょっと待っててね」
チェック柄のズボンに白のワイシャツ、クリーム色のハイネックシャツ、それからその上に青いブレザースーツ。ネクタイはない。
どうやら男の子の制服は、女の子のもの程奇抜ではないようだ。
…ホントスカート丈短いわよね。寒いだろうと思わないのかしら。
「ゆーこちゃ〜ん。コーヒーと紅茶どっちがいい〜?」
台所の奥から、雪也の声。
微かに漂う、トーストの焼ける香ばしい匂い。
どっこらしょ、なんて、年に合わない掛け声をあげながら、こたつを出る。
「コーヒーもらうわ」
「砂糖とミルクは?」
「ブラックでいいわ」
「わ…ゆーこちゃん、おとな…」
……どうでもいいけど、"砂糖とクリーム"じゃなくて"砂糖とミルク"だったあたりが雪也らしいと思う。
ともあれ、雪也に尊敬の眼差し(のつもりなんだと思う、当人は)で見つめられながら、あたしは口元でカップを傾ける。
…ふむ。やはりというか何というか、昨日伯父さんが淹れてくれたものよりも薄い。それはそれで香りをゆっくり楽しめるからいいんだけど。
「はい、トースト」
「ありがと。…雪也、ジャムある?」
「ジャム? えっとね…ストロベリーとブルーベリーならあるよ」
「イチゴジャムもらえる?」
「うん」
…実はあたし、こう見えてなかなか甘党である。
イチゴジャム一壜くらいなら、朝昼夜三食で食べきってしまえる。
「ゆーこちゃん、ジャム好きだったっけ」
「ジャム…っていうか、甘いモノ全般よね」
「ふぅん…」
ことん。
あたしの前に置かれる、壜。それと、スプーン。
深い赤のジャムが入った壜には、ラベルは貼られていなかった。
「これもあんたが作ったの?」
「え? ジャムのこと?」
「そう」
「それは僕じゃなくてね、おとーさんが作ったやつ。おいしいよ」
「…伯父さん、ジャムなんて作るの?」
「ジャムだけじゃなくて、他にもいろいろ作ってるよ。ヨーグルトとか、チーズとか、マヨネーズとか…お酢とかお酒も自分で作ってるみたい」
「……それは、趣味で?」
「仕事半分、趣味半分…かな」
「ひゃっ!?」
びくっ!
がたがたっ!
「…痛いです、伯父さん」
「うん、痛そうだね」
「そう思うんだったら、もうちょっとゆっくり登場してください…」
「いやいや、祐ちゃんをからかうのは僕のライフワークだから」
倒れた椅子から起きあがりながら、恨めしげに伯父さんを見上げてみる。
嬉しそうににぱにぱしてる伯父さん。
…そんなに幸せそうな顔をされると、あたしとしても毒気を抜かれてしまう。
「雪也。僕の分もトースト焼いて」
「あれ? …おとーさん、食べてくの?」
「ああ」
「珍しいね」
「珍しく雪也がちゃんと起きてるからね」
「…ひょっとして僕、褒められてる?」
『褒めてない褒めてない』
「わ、ハモってる…」
「いや、それはいいからトースト焼いて。僕もそうゆっくりはしてられないんだから」
「うん。判ったよ」
言って、また、踵を返す雪也。
鼻歌なんて歌いながら、オーブントースターに食パンを放り込んでいる。
…雪也に聞こえないように、小さな声で。
「伯父さんがいつも朝御飯食べずに仕事行っちゃうのって、やっぱり、雪也を起こすのに手間取るからですか?」
「そうだよ」
「……いつも、どれくらいかかるんです?」
「大体、七時頃鳴る目覚ましで僕が起きて、それから着替えて、雪也の部屋に行って…それで七時十分くらいかな? それから、僕が仕事に出る八時まで、ずっと」
……雪也。
あんたは、伯父さんが朝御飯も食べずに仕事行っちゃうって嘆くけど。
自業自得じゃないのっ!
…雪也、三点減点。
「ねえ、祐ちゃん」
「何でしょう」
「一つ頼み事をしていいかな」
「いいですよ」
「明日から、雪也を起こすの任せていいかな」
「任せてください」
「うん…頼んだよ…」
「頼まれました」
「う〜、二人で内緒話?」
「そうだよ」
「う〜、じぇらしーじぇらしー」
「雪也。僕のトースト」
「う〜、悔しいからあげないっ!」
「なっ、それはひどいぞっ!」
「ひどくないもんっ!」
「うう…祐ちゃん、何か言ってやって…」
「大人げないわよ、雪也」
「そうだっ、大人げないぞ、雪也」
…いや、伯父さんも十分大人げないです。
ていうか、実年齢を考慮すると、伯父さんの方が大人げないです。
…ま、言わないけどね。
「う〜、ゆーこちゃんまでおとーさんの味方する…」
「はっはっは。という訳で雪也、僕のトースト」
「う〜」
渋々、といった風情で、伯父さんにトーストを渡す雪也。
「ありがと」
「う〜」
嬉しそうに満面の笑みの伯父さん。
そして、悔しそうに表情を曇らせている雪也。…時折、フォローが欲しいと言わんばかりにあたしの方をちらちら見ている。
…とりあえず、見ないふり。
「う〜」
拗ねてる拗ねてる。
「雪也」
ジャムをたっぷり塗ったトーストをかじっては、少し薄目のコーヒーで流し込む。
あたしが、そんなルーティンワークを一頻り終えた後。
「う〜」
「いつまで拗ねてるのよ。早く雪也も食べちゃいなさい」
「うう〜。そうするよ…」
「……折角早起きしたハズなのに、もうすぐ八時になるわよ」
「う〜。だって、おとーさんもゆーこちゃんも構ってくれないんだもん…」
「言い訳はいいから、早く食べて出るわよ。昨日も言ったけど、あたし、絶対に雪也と同じペースじゃ走れないからね」
「う〜、判ってる…」
判ってる割には、パンをトーストに放り込む動作も、どこか緩慢としている。
「さて、それじゃ僕はそろそろ出るね」
あたしより先にトーストを食べ終えて新聞を読んでいた伯父さん、そんなことを言いながら席を立つ。
「行ってらっしゃい、伯父さん」
「うん、行ってきます、祐ちゃん」
…何故だかやたら嬉しそうに、ダイニングを出ていく伯父さん。
それから、なにやら恨めしげに伯父さんの背中を眺めていた雪也が、ぼそっ、と、
「…じぇらしー」
なんて呟いていた。
Fortsetzung folgt.
01/1/10 橘 和馬