blue snows

1月7日(中編1)

 

 

 ばたんっ!
 どたどたどたっ!
 ばんっ!
 …ちなみに、上から順に、玄関のドアが開けられた音、廊下を駆け抜ける音、リビングのドアが開かれた音。
「ゆーこちゃん、いるっ!?」
「いるわよ」
 リビングで昼前のワイドショーを眺めていたあたしは、ゆっくり声のした方に顔を向けて…少しだけ、目を細める。
「ドアはちゃんと閉めなきゃ駄目でしょ」
「だって、だって」
「いいから、玄関閉めてからにしなさい。それくらいの暇はあるでしょ」
 気分はすっかり七年前と同じ、手の掛かる弟を持った姉の気分だ。
 雪也、少し眉根を寄せながらも、はぁい、と小さく呟いて玄関のドアを閉めに行った。その背中が少し、哀愁を誘う。
 …とりあえずあたしは、手にしていた新聞に視線を落とした。
 どたどたどたっ!
「ゆーこちゃん、いるっ!?」
「だからいるって言ってるでしょ」
 一体何なのやら。
「ただいまっ!」
「…ねえ、雪也?」
「なに?」
「会話がかみ合ってないわよ」
「うん、そんな気がしなくもないような気がするっ!」
 もう、訳が判らない。
 どうやら、何か、嬉しさかそれに類する感情から興奮しているんだと思うけど。
 …なんであたしがこんなに冷静に分析してるんだろう。
「何かあったの?」
 昨日から見てきた限りでは(それから、以前の記憶を全部継ぎ足して考えても)、あたしには雪也がこんなに慌てている理由は想像がつかない。
「うん! 大変なんだよ!」
「…何があったの」
「ゆーこちゃんがいるんだよ!」
 ……。
「もう一度聞くわ。何があったの?」
「だから、ゆーこちゃんがいるんだよ!」
 ……。
「あたし?」
「うん、ゆーこちゃん」
「あたしが、いるの?」
「うん!」
「どこに」
「ここに」
「ここって?」
「僕の目の前」
「…雪也」
「なに?」
「今一つ、何が言いたいのか判らないんだけど」
「だから、大変なんだよ」
「何が?」
「ゆーこちゃんがいる」
「…どうして大変なの」
「ゆーこちゃんがいるから」
「…それは判ったわ。どうしてあたしがいると大変な訳?」
 頭が痛くなってきた。
「えっと、それはね……それは……あれ?」
 思いつかないらしい。
「判んないや」
 大当たり。
 あたしは新聞をたたんでテーブルの上に置くと、ことさら大袈裟に溜息を吐き出して見せた。もっとも、それに応えるような雪也じゃないことは判ってるけど。
「あたしがいること喜んでくれるのは嬉しいけどね、次からもうちょっと控えめにしてね」
「うん、そうするよ」
 にぱっ、と笑う。
 と、ふと気付いたように辺りを見回すと、
「お父さんは?」
「…多分、二階にいるわよ。雪也が帰ってきたら仕事に行くって言ってたから」
「あ、お父さんやっぱり仕事休んだんだ…」
 言いながら、ぱたぱたと階段を駆け上がっていく。
 再び静寂の戻ったリビングで、再び開いた新聞の続きを読み始め…られなかった。
「祐ちゃん」
「あひゃぁぁぁぁぁっ!?」
 ソファから飛び上がった拍子にバランスを崩したあたしは、次の瞬間、頭からきれいにテーブルに突っ込んだ。かなり痛そうな音がしたと思う。…事実、痛い。
「…痛そうだね」
「痛いです。思いっきり」
 少しこぶになってしまったおでこを押さえながら、いつの間にか背後に来ていた伯父さんを上目遣いに見遣る。
 いい加減、あたしで遊ぶのはやめてもらえまいか。もっとも、あたしがいつまでも過剰反応しちゃうから面白くてしょうがないのかもしれないけど。いやいや、でもこればっかりはあたしにはどうしようもないぞぉ。
 あたしの上目遣いの訴えるところを察したのか、伯父さんは少しだけ苦笑を浮かべて頭を掻くと、
「雪也、帰って来たみたいだね」
 話を逸らした。
 まぁ、全く気付かない雪也よりは妥当な反応。
「ええ…って、二階にいたんじゃなかったんですか? あたし、雪也に二階にいるって言っちゃって…」
「いないって判ればすぐに降りてくるよ。…いくら雪也でも」
 言って、今度ははっきりと苦笑を浮かべる。
 ううん、いくらなんでも伯父さんの前で、雪也を子供扱いしすぎたか。
「そう言えば、修平くんは元気かい?」
「兄貴ですか? …死んではいないと思います、多分」
「何の音沙汰もないのかい?」
「ええ。一度母さんが部屋掃除しに行きましたけど…それだけですね」
「そうかぁ…修平くんも大きくなったろうなぁ」
「大きくなったって言うより、老けたって感じでしょうね。もうあの時には成長止まってましたから、兄貴」
「…あの時、修平くんは?」
「今のあたしと同じです、ちょうど」
 言い換えれば、あたしが当時の兄貴と同じになったってことだ。
 あたしも歳取ったんだなぁ…。
「あ〜、お父さんがゆーこちゃんと話してる〜」
 階段を一段抜かしに飛び降りながら、二階から雪也が降りてきた。
 格好は相変わらず、ウインドブレーカーのまま。
「ああ。話してるぞ」
「う〜、僕もゆーこちゃんと話す〜」
「今日は制服着ていかなかったのか?」
 話が繋がっていない。
「うん…お父さん、どこにあるか知らない?」
 雪也はそれについていってるけど。
「昨日、濡れたからストーブの前に干しておくって言ってなかったか?」
「うん。でも、ないんだよ」
「…熱心なファンに持っていかれたか?」
「僕、背中にうどんなんてかけられてないよ」
「いや、ラーメンかも知れないぞ」
 …あたしには何の話だか判らない。
「明日から学校だから、制服がないと困るよ〜」
「そうか、それは困ったな」
「困ったよ〜」
「困ったと言えば、内閣不信任案が否決されたな」
 また話が飛んだ。
「それも困ったよ〜」
「加藤さんも面目丸つぶれだ」
「う〜、加藤さんはどうでもいいけど、森さんが辞めないのはどうかと思うよ〜」
 雪也に言われるようじゃおしまいだと思う。
「雪也に言われるようじゃ、森さんもおしまいだな」
「う〜、お父さん、ひどいこと言ってない?」
「いいや、森さんはもうおしまいだと言っているだけだぞ」
 …伯父さんもなかなかひどいことを言う。
 しっかし、やっぱりあたしが止めないといつまでも続くんだろうか、これは。
「幹事長時代からあまりパッとしなかったもんね、あの人」
「ああ。あれなら小渕さんの方がいくらも愛嬌があるってもんだ」
「あ、そうだ、今日ね…」
「ストップ」
 また、何の脈絡もなく、伯父さんが話を切る。
「僕は仕事に行く」
「それじゃ僕はゆーこちゃんを連れて散歩に行く」
 何故か胸を張って、伯父さんに対抗する雪也。
 …あたしは雪也の散歩に付き合うなんて一言も言ってないような気がするんだけど、それはあたしの気のせいなんだろうか。
「むむむ…雪也。代わろう」
「ダメだよ、代われないよ」
「大丈夫、風邪をひいて声がおかしいって言えばきっとバレない」
 バレますって。
「バレないかも知れないけど、ダメ」
 いや、だからバレるって。
 がっくりと肩を落とした伯父さんは、ちらりちらりと恨めしげに雪也を振り返りつつ、緩慢な動きで玄関まで行き…ドアの向こうに姿を消した。
 …それから、車のエンジンがかかる音。車が出ていく音。
「…雪也」
「ん? なに?」
「伯父さん、何も持たずに出てっちゃったけど、いいの?」
「うん、いつもああだから」
 …そうか、いつもああなんだ。
「それじゃ、行こっ、ゆーこちゃん」
「…どこに」
「散歩」
「誰が」
「僕とゆーこちゃん」
「どうして」
「折角だから」
「…何がどう折角なの」
「折角ゆーこちゃんがいるんだから」
 謎である。
「…ま、いいわ。この辺りの道もほとんど憶えてないしね。雪也に案内してもらうことにするわ」
 本当は、雪也を問いつめるのに疲れただけだったりする。
「わ〜い、ゆーこちゃんと散歩〜」
 雪也は、純粋に、嬉しいみたいだった。
 そんな雪也を、あたしは…苦笑しながら……。

 

Fortsetzung folgt.

 

 

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